人に嫌われることを受け入れられたら、本当の意味で「自由」になれる
2017/01/21
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ブログを書いていると、いろんなことが起こります。
応援の言葉やコメントを頂けることもあれば、ネガティブな意見や文句を言われることだってあります。
ネット上では相手の顔が見えないので、正体を現さずにメッセージやコメントを一方的に送っては去るクセモノもいます。
こういう対人関係の問題はブログを書く私だけでなく、普段の生活の中でだって誰にでも起こりますよね。
身近な例えで言うと、上司や友達からの評価や見られ方。
何かネガティブなことを言われたり人に嫌われたりしたとき、どうやって対処していますか?
私はいつも、ネガティブなコメントや文句を言われた時には「なるほど~」とすんなり受け取るようにしています。
なぜかというと、自分の捉え方自体を工夫すれば、何の支障も無く自由でいられるから。
言葉だけじゃわかりにくいので、例を挙げてみようと思います。
一つ目の例は、先日書いたこの記事。
この記事に、どこからか頂いた本人情報が隠された下記コメント:
「どれくらい住んでいるのか分かりませんが、自己紹介レベルってのは結構ひどいっすね。」
一見、ネガティブなコメントのようにも思えますが、この人は実際にどんな気持ちで私にわざわざコメントを残したのでしょうか。
私の気分を害してニヤニヤと一人喜ぶため?
現地語がまだ自己紹介レベルだなんて本気でひどいと思ったから?
残念ながら、私にはこの人がどんな心境でこのコメントを公開記事に残したのかはわかりません。
でも、コメントに対する私の捉え方はいくらでも操作することができます。
今回の件でいえば、私は以下のように捉えました。
「オランダに住んでいるんだから、英語だけでなく現地語ももっと頑張って勉強した方が今後のために役立つよ」
という現地在住者からの温かいメッセージであったのだと。
そう考えられたら、もっとオランダ語の勉強を頑張ろうという私のやる気に繋げてくれたこのコメントにむしろ感謝をしたいし、何ならオランダ語を教えて頂きたい(笑)
もう一つの例としては、私が以下の記事をアップした時。
多くの方々に共感してもらえた反面、英語を教えることをビジネスにしている人や企業からはネガティブコメントももらいました(笑)
「英語が重要なのではない」なんて記事を書いてしまったから、英語関連のビジネスをしている人々を怒らせてしまったのです。
ここで改めて気づいた発見は、「誰からも好かれ共感されることなんて絶対ありえないし、決して求めてはいけない」ということ。
どんなに共感の数があっても、世の中には自分の立場上否定せざるを得ない人たちが一定数いるのです。
それは自分自身が悪いからではなくて、結局相手の都合なんですよね。
相手にとって私の意見が不都合ならば、反対して私の意見を捻じ曲げようとするしか方法がない。
だからこそ、他者からの評価や意見に自分がいちいち怯えたり、ムカついたり、気分を害したりする必要なんて、一つもないんです。
私がそう考える理由は2つ。
①ものごとの事実は変わらなくても、捉え方は自分自身でいくらでも操作できるから。
②相手の立場にとって不都合であれば否定せざるを得ない「相手の事情」があることに気づいたから。
嫌われることを気にして動けない自分がいるなら、それは手足を縛られ自由を失った捕虜と同じ状態。
私のことを応援してくれる人たちには精一杯の感謝をし、私のことを嫌う人のことはそれはそれで受け入れればいい。
そうやって両者の存在を認めることで初めて、私はストレスなく自由に自分の生き方を続けることができています。
こんな風に考えるようになったきっかけをくれたのが、ベストセラー本でもある岸見 一郎さん・古賀 史健さん著の『嫌われる勇気』。
この本のおかげで、私の価値観も180度変わったことを今でも鮮明に覚えています。